市川翠子 
 
  焼き物の町、佐賀県有田から車で二十分ほど、伊万里市のはずれに大川内山(おおかわちやま)がある。江戸期に佐賀・鍋島藩の御用窯が置かれたところだ。藩は技術の流出を防ぐため、三方を山に囲まれた谷に窯を築いた。背後の急峻な岩山は霧に煙ることが多く、山水画の風景を思わせる。
 今も三十軒ほどの窯元が活動しており、多くは谷に沿った急坂沿いに集中している。不便な場所だが、最近は休日になるとこの通りは観光客でにぎわう。この通りから川を渡った、あまり人の訪れない斜面沿いに、市川翠子さんの窯(翠峯)がある。
 私は、かつて、この地を散歩していて偶然この窯を見つけた。その時のご縁で、当ギャラリーに市川さんの作品を置かせていただいている。
 市川さんは、大川内山の伝統ある窯元に嫁いできたが、ご主人に先立たれ、絵付けを学び、自身で窯を興した。
 鍋島藩窯では、「鍋島様式」と呼ばれる独自の磁器を焼いた。その代表が、白磁に赤、緑、黄の三色を基調とする上絵を描いた「色鍋島」である。市川さんは、今日まで三十年余、「色鍋島」一筋に取り組んできた。
 「色鍋島」は、上絵付けが命。市川さんは、その技術が評価され、伝統工芸士の資格を得ている。成形、素焼き、下絵付け、本焼きという工程を経た磁器に、一筆一筆丁寧に絵付けをする。それを、再び窯に入れ、焼き、取り出す。これを市川さんは、七十五歳になる、小柄な身体ですべて一人でこなす。
 「色鍋島」は、草花文様など自然を素材とした大胆で個性的な構図、鮮やかで品格ある色調、緻密さを併せ持ち、私の見るところ、日本陶芸史上最高の作品群の一つである。それらを今に再現するだけでも困難な技だが、市川さんは、それに極めて控えめではあるが独自の作風も加えている。
 女性らしい、可憐で、優しい色使い、自由闊達、奔放な筆使い・・・・。そのため、伝統的「色鍋島」のように緊張を強いられることがない。野の花を見るように、心がなごむ。市川さんのお人柄が自然に表れているに違いない。
      市川さんは、このような得がたい作品を作りながら、女性伝統工芸士として各地の催しには参加はするが、自分を陶芸家として売り出そうとはされないようだ。作品も、花瓶や大皿の大物も作るが、湯のみやコーヒーカップなど日常食器を多くする。販売も控えめである。こうした姿勢は市川さんに限らず、伝統産地の職人たちに共通している。
 近年は、陶芸家を志す人が増え、東京などでも展覧会が頻繁に開かれる。ただ、どのように技術が高度で創造性に富んでいても、伝統を継承していない人の作品は何かが欠けている。また、創作を強く意識し過ぎた作品も、なじめないところがある。
 工芸品の良さとは何だろうか。できれば産地で、伝統を体質として受け継いだ職人の、その人の人柄も自然ににじみ出ているようなものがよい。市川さんとのお付き合いから、そのようなことを感じるのである。
 今年六月に、窯をお訪ねしたときは、市川さんは痛めた足を引き、また最近物忘れもするようになったと嘆かれていた。いつまでもお元気で、可憐な作品を作り続けていただきたいと願います。(2003年記)

 その後、残念ながら市川さんは2005年限りで、窯を閉じることになりました。