しん窯が、「青花」作品を世に出されて今年で三
十年になるとのこと、本当におめでとうございます。
 私は、昭和六十三年から三年間、日本経済新聞佐
賀支局長として佐賀に滞在、取材先として梶原社長
にお会いしました。その後、東京に異動しましたが、
佐賀とのご縁から平成十一年より埼玉県にある自宅
一角で、家内が肥前陶磁専門のギャラリーを開くこと
になりました。「青花」はその目玉として作品を置か
せていただき、梶原社長はじめ、しん窯スタッフとの
お付き合いも続いております。私は、必ずしも焼き
物、あるいは産地事情に詳しいわけではなく、僭越で
はありますが、この機会にお祝いの言葉とともに、
「青花」に対する私なりの考えを述べさせていただき
ます。
 九州の片隅で作られる一つの銘柄が三十年も生き
続けるのは並大抵のことではありません。しん窯は、
そのことで、染付けの魅力を全国に知らしめました。
また、有田という伝統産地に対して、さらには現代の
陶芸界に対しても、非常に大きな貢献をなされてき
た、ややオーバーに表現するなら革命を起こしてき
たと言ってよいと思います。
 有田焼と言えば、白磁にあでやかな色彩を施した、
いわゆる「古伊万里」、「柿右衛門」、「鍋島」などの
様式が主です。三十年前ならなおさらその傾向が強
かったでしょう。しん窯は、そこに「青花」という、染付
け製品専門で行く道を選ばれた。染付けは古伊万里
にもありますが、むしろ現代においてより魅力を発揮
しうるデザインです。それを三十年前に決断されたの
は、慧眼と言わざるを得ません。
  染付けで多様な日常食器類を製作する窯は今で
も他にないでしょう。しかも、それをたとえばオランダ
風「長崎紋」などシンプルで今風でありながら郷愁を
誘う独自のデザイン、手描きの手の込んだ技法、手
ごろな価格でお作りになった。「青花」は特に女性の
心を捉え、それまでどちらかといえば骨董の世界に
とどまっていた染付け製品が、日常食器として全国
の家庭の食卓に並ぶようになった。言わば、染付け
というジャンルを現代に復活させた最大の功労者で
はないでしょうか。
 有田という産地にとっても、しん窯は革命的でした。
有田は、色絵の割烹食器を主に、小規模なメーカー
が製造し産地商社を通して販売する流通が主です。
個人の作家が意外に少なく、自社ブランドを持つメー
カーも古くからの香蘭社、深川製磁などわずかです。
「青花」ブランドを掲げるしん窯は、染付け専門という
点だけでなく、家庭用を主とし消費者と直接向き合う
という経営の形態でもおそらく異色の行き方と言える
でしょう。梶原社長に直接お聞きしたことはありませ
んが、伝統の重い産地だけに当初はいろいろご苦労
もあったのではないでしょうか。
  しん窯は天保年間の創業の歴史がありますが、
「青花」ブランドを掲げる現在の窯の姿はすべて梶原
社長の企画力、経営力、そして暖かいお人柄に負う
ているといえます。「青花」ブランドによる製造販売だ
けでなく、たとえば、工房の見学者への開放、IT(情
報技術)の活用など、しん窯は様々な新しい試みを
打ち出し、産地に刺激を与えて続けてきたように思
います。私たち報道関係も梶原社長からいろいろ教
えていただきました。 
  三十年は一つの区切りとして、「青花」ファンの一
人として、将来にわたり製品を作り続け、染め付けの
美しさを伝えていただくことを切望いたします。また、
有田に限らず、焼き物業界は今かつてない危機状
況にあると聞きます。景気低迷とともに、ライフスタイ
ルなど需要の構造変化、中国などからの輸入の急
増と価格破壊などが背景にあります。私の家も、ささ
やかながらギャラリー経営を通して顧客との接点に
おり、そのことがひしひしとわかります。このような時
こそ、梶原社長のリーダーシップに期待が大きいと
いえます。いつまでもお元気でご活躍をお願いいたし
ます。
  (平成三年まで日本経済新聞佐賀支局長、夫人
が肥前陶磁ギャラリー妻傳経営)


「青花」三十年に想う




















































































































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